明治14年 | カクイックスグループの歩みを語るには、創業の年からさらに時代を遡る必要があります。西南戦争後の明治10年代、官営の機械紡績工場が全国各地に建てられました。内地綿が不足・高騰し、神戸で輸入され始めた安価な中国産綿(天津綿)の需要が高まるなど新たな商機が生まれました。 そのような時期の明治14年、鹿児島を代表するデパートである山形屋の第3代岩元善兵衛の末子、岩元源助は原綿問屋山形屋綿店と製綿工場を起業しました。現在のカクイ株式会社(株式会社カクイックスの関連会社)の誕生です。 |
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明治31年 | 幕末の薩摩藩主・島津斉彬による集成館事業の流れを汲む島津紡績所からローラーカード4台(梳綿機3台、打綿機1台)などの払い下げを受け、製綿工場の機械化を進めます。材料の原綿は中国産の天津綿です。この頃、鹿児島に電気会社が設立され、電気を動力とすることが可能となり、定期船航路や鉄道が開通して流通インフラも整い始めていました。ビジネスチャンス到来です。 |
昭和2年 | 原綿問屋山形屋綿店から「合名会社山形屋綿店」に組織改称。 |
昭和23年 | 昭和初期には、九州一円だけでなく、四国、沖縄、台湾、朝鮮、満州まで販路を拡大し、寝具、防寒具材料の大メーカーに成長し、「カクイわた」は関西以西の地域では、ふとんわたの代名詞になります。販売広告として「東洋一のカクイわた」やねんねこ姿のホーロー看板が西日本各地に見られるようになりました。昭和23年に社名を「山形屋産業合名会社」と変更し、成長を続けました。 |
カクイわたねんねこ看板
昭和33年6月 | 厚生省告示により基準寝具(病院寝具)制度が設立。この制度は、病院の近代化に欠くことのできない重要な条件の一つとして、患者に対する格差是正と均等な医療サービスの向上、さらに看護業務の改善と合理化のために重大な意味をもつものでした。病室の整備はもちろん、衛生面でも良い結果をもたらし、患者自身も入院時に寝具を持ち込む必要もなく、多くの望ましい効果が得られると考えられていました。 |
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昭和36年7月 | 基準寝具の外部委託(賃貸借)方式が正式に認められ、今まで日本に存在しなかった新しい事業「基準寝具受託業務」が日本で始まることになりました。外部に委託する「賃貸借方式による基準寝具業務」は、明治以来、院内ですべてを処理することを前提としてきた日本の病院経営に風穴をあけるものでした。 |
昭和38年8月 | 高知県の県議会議員で、幅広く事業活動をしていた西谷昇は、鹿児島では積極的に基準寝具の事業に取り組んでいる企業がないことを絶好のチャンスと考え、鹿児島で新事業を展開することを決意しました。島崎博を統括責任者として派遣し、資本金3,000千円をもって鹿児島市下荒田町207番地に鹿児島基準寝具株式会社を設立しました。現在の株式会社カクイックスの誕生です。 |
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昭和38年10月 | 鹿児島市宇宿町2505番地1に工場完成。鹿児島基準寝具株式会社の賃貸システムは、最初に寝具類一式を病院へ貸し出し、寝具に付帯したシーツ・包布・枕カバー等を洗濯工場で毎週1回、洗濯・消毒・補修をして交換することにより、厚生省の規格に沿った基準寝具を提供するというものでした。このシステムは鹿児島県下の病院・医院から好意的に迎えられ、鹿児島の医療現場の合理化に貢献することになります。 |
昭和39年1月 | 一方、山形屋産業合名会社(現在のカクイ株式会社)も製綿・寝具製造の立場から、基準寝具事業の将来性に注目し、事業化を計画していました。鹿児島基準寝具株式会社が事業を開始したことで、過当競争によるマイナス面の発生が懸念されたため、両社の首脳で話し合いが進められました。結果、山形屋産業合名会社の基準寝具部と鹿児島基準寝具株式会社が合併し、共同事業とすることで合意しました。 9,000千円を増資して資本金12,000千円とし、商号を「カクイわた鹿児島基準寝具株式会社」に変更。代表取締役に岩元健吉、会長に西谷昇が就任しました。 |
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昭和39年1月 | 工場のある鹿児島市宇宿町2505番地1に本社を移転。 |
昭和43年7月 | カクイわた鹿児島基準寝具株式会社は、新規事業に意欲的に取組みました。鹿児島で早くからダスキンのフランチャイズに加盟したのもその一つです。掃除を楽にしたいという時代の変化・顧客の欲求に応え、顧客を一般家庭や事業所へ広げました。(後に株式会社カクイックスクリーンケアに分社化される事業) |
昭和45年 | ベッド等医療用家具の販売・リース、ユニフォームリース、床ずれ防止用クッションのレンタルを昭和45年頃から開始します。寝具レンタル事業の顧客基盤を基に、顧客の「本業である医療・看護に専念したい」、「手間を減らしたい」、「清潔・快適な環境にしたい」という欲求に応えていきました。 |
昭和45年7月 | 鹿児島市加治屋町11番26号に商事部開設(ダスキン課・ホスピタル課)。 |
昭和49年8月 | 宮崎市一の宮町65番地に宮崎営業所を開設し、宮崎への営業を強化しました。 |
昭和52年2月 | 本社(鹿児島市宇宿町2505番地1)に商事部ホスピタル課を移転し、商事部ダスキン課をダスキン部に昇格。 |
昭和53年10月 | 創立15周年を機に「年次モットー」を社員より募集。第1回目となるこの年は、「創立十五周年 心を一つにして 感謝の気持ちを届けよう」が選ばれました。現在も毎年多くの社員から多数の応募があり、朝礼等で唱和を行っています。 |
昭和54年6月 | 鹿児島市加治屋町2番1号カクイわたビル1階にダスキン部を移転。 |
昭和56年10月 | 本社及び工場を鹿児島市谷山港2丁目1番2に新築移転し、商号を「カクイわた基準寝具株式会社」と変更します。南九州一円(鹿児島・熊本・宮崎)の約250軒の病院、450軒の診療所と取引し、寝具の納入床数は35,000床に達しています。 |
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本社及び工場(竣工写真)
昭和59年5月 | カーテンのメンテナンス付きリース事業を開始。当初はなかなか実績が上がりませんでしたが、定期的な洗濯、取り付け取り外し作業、洗濯期間中の予備カーテン取り付けのシステムは潜在的な需要があり、徐々に顧客に受け入れられるようになっていきました。 |
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昭和60年5月 | 本社第四倉庫(現 第四工場)を新設。 |
昭和63年4月 | マットレスのメンテナンス付きレンタル事業を開始。当時、マットレスは洗うものではなく、汚れたら買い替えるものでした。お客様の潜在的なお困りごとを自社の強み(ビジネスモデル)で解決するという視点で事業開発を行い、需要を掘り起こしました。さらに、北部九州のリネンサプライ業者と提携して、市場を九州一円に拡大しました。 |
カクイわた基準寝具株式会社は、昭和の時代を社名にもある「基準寝具」を専門とする企業として、鹿児島県を中心に事業規模を拡大していき、南九州におけるトップ企業としての位置を確かなものにしてきました。元号が平成に変わり、1990年代に入ると、基準寝具だけではなく、福祉や介護にかかわるあらゆる分野に挑戦する企業として、新たな段階へ歩みを進めることになります。
平成元年4月 | ホスピタル部門をカクイアメニティケア株式会社へ、ダスキン部門をカクイクリーンケア株式会社へ、それぞれ営業ならびに資産負債の一切を譲渡。 カクイアメニティケア株式会社は、医療・福祉施設の快適性の提供とその維持管理を事業の目的とし、カクイクリーンケア株式会社は、株式会社ダスキンの商品を通して施設や家庭に清潔さを提供することを目的として発足しました。 |
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平成3年1月 | 高齢化の進む日本の将来を見据え、福祉用具のレンタル・販売を目的として、エコール事業部を発足(後に株式会社カクイックスウィングに分社化される事業)。 |
平成5年9月 | 社内報「そよかぜ」第1号刊行。 |
平成10年3月 | 平成12年の介護保険法施行を前に、鹿児島市加治屋町3-1に「カクイックスビル」を新築し、介護用品館をオープン。民間としては最大規模の福祉用具展示場を目指し、福祉情報の発信基地として、地域に貢献できる場が必要だという発想で建築されました。 |
平成10年4月 | 事業内容が基準寝具だけでなく福祉用具など多岐に渡ってきていることから、社名をカクイわた基準寝具株式会社から「株式会社カクイックス」に変更しました。 カクイックスとは、「カクイ+X(エックス・未知なるもの)=新しいものへの挑戦をイメージ」したネーミングです。 合わせて、グループ会社も次のように社名を変更しました。 カクイアメニティケア株式会社から「株式会社カクイックスアメニティ」へ。 カクイクリーンケア株式会社から「株式会社カクイックスクリーンケア」へ。 加盟店名はダスキンカクイわたから「ダスキンカクイックス」へ名称変更。 |
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平成10年8月 | カクイックスアメニティの営業主力商品メンテナンス付きレンタルマットレス「メンタルマット」の実用新案登録完了。 |
平成12年4月 | 介護保険制度スタート。介護保険制度は、国民の保健医療の向上及び福祉の増進を図ることを目的し、これからの高齢化社会を見据えた社会制度の大改革です。カクイックスにとっては大きなビジネスチャンスであり、制度開始の前から準備をしてきました。 |
平成15年4月 | 介護用品部門を分社化。「介護を快護に変える」をキャッチフレーズに営業を開始しました。新社名には、福祉(Welfare)を進行発展(ing)させるとの意味と、上昇気流に乗って空高く舞い上がる鳥の翼(Wing)の想いを込め、カクイックスウィング(Wing)としました。 |
平成15年6月 | 本社厚生棟増築工事竣工。 |
平成15年12月 | 鹿児島市谷山港1丁目に超大型倉庫併設のカクイックス別館を新設しカクイックスウィング営業本部、鹿児島営業所を移転。 |
平成16年10月 | 社団法人シルバーサービス振興会の福祉用具消毒工程管理認定を習得。 |
平成17年9月 | 岩元義弘(株式会社カクイックス第6代社長)、株式会社カクイックスアメニティの代表として稲盛経営者賞受賞。 |
平成17年12月 | ダスキンのエアーコントロール事業(空気清浄機及び脱臭機のレンタル)加盟。 |
平成19年4月 | 鹿児島市の鹿児島アリーナにて「総合福祉フェスティバルinかごしま」を開催。 |
平成19年7月 | ダスキンのドリンクサービス事業(天然水・コーヒーの宅配サービス)加盟。 |
平成19年8月 | ダスキンのメリーメイド事業(家事の代行サービス)加盟。 |
平成23年10月 | 病室等のベッド横に置かれているテレビのレンタル事業を専門に行っている株式会社ザフを株式会社カクイックスの子会社にしました。 |
平成23年12月 | 岩元文雄(株式会社カクイックス第7代社長)『福祉用具のちから-「手厚い介護」とは何か?』(筒井書房)出版。平成22年からブログに連載した内容が多くの方の関心と好評を得て、書籍化されました。 |
平成24年8月 | 入院セットレンタル事業開始。入院セットレンタルは、これまで主にエンドユーザーだった患者様と直接契約する形態で、株式会社カクイックスにとってはBtoC事業の本格参入となりました。入院セットとは、パジャマやタオル、日用品、紙オムツなど入院・入所生活に必要なものをセットにして1日単位でレンタルするサービスです。 |
平成24年1月 | 株式会社ザフを「株式会社カクイックステレサ」へ社名変更。テレサとは、「テレビ・レンタル・サービス」の頭文字をとった略称です。 |
平成24年10月 | ダスキンのヘルス&ビューティー事業(化粧品及び健康食品の販売)加盟。 ダスキンのホームインステッド事業(介護保険外で高齢者の暮らしのお手伝いをするサービス)加盟。 |
平成24年12月 | 宮崎市佐土原町東上那珂16079-38に株式会社カクイックス宮崎営業所及び株式会社カクイックスアメニティ宮崎支店を新築移転。 |
平成25年4月 | 株式会社おとなの学校のフランチャイズに加盟し、「おとなの学校 天保山橋校デイサービスセンター」を開校。高齢社会に必要なビジネスを模索する目的と鹿児島に学校形式のデイサービスがあることを紹介したいという想いから運営を開始しました。 |
平成25年8月 | 城山観光ホテル(現 城山ホテル鹿児島)にて創立50周年記念式典・祝賀会開催。 |
平成25年10月 | ダスキンのターミニックス事業(害虫獣駆除と予防サービス)加盟。 |
平成27年4月 | お客様の利便性の向上と社内業務の合理化・効率化を大きな目的として、株式会社カクイックスアメニティ、株式会社カクイックステレサを株式会社カクイックスに吸収合併。 |
平成28年8月 | ベトナム人技能実習生第1期生(株式会社カクイックス生産部配属)4名入社。 |
平成29年10月 | 有限会社ワカマツを事業承継。株式会社カクイックスクリーンケアの子会社となりました。 |
令和2年1月 | 三笠宮瑤子女王殿下が介護用品館加治屋町店をご訪問されました。対話支援機器コミューンの評価と今後の可能性について意見交換を行いました。 |
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令和2年5月 | 鹿児島銀行本店ビル1F「よかど鹿児島」に「アクティブライフ・プラザ健美」オープン。 九州共同株式会社様とカクイックスウィングとの共同での新店舗。「年齢を重ねても健康で美しい自分にこだわっていただきたい」をテーマに幅広い商品を提供しています。 |
令和3年7月 | 株式会社カクイックスブリッジを設立。 |
令和3年11月 | 株式会社カクイックスブリッジ カコイエレクトロから家電販売関連事業を承継し、家電量販店チェーン「エディオン」のフランチャイズ店舗を運営開始。「ブリッジ」には、明るい、生き生きとしたなどの意味の「Bright」と地方や離れた地域を意味する「edge」を結び付けて「Bridge(橋)」とし、人々の架け橋となって隅々まで明るくしたいという意味を込めています。 |
令和4年6月 | 株式会社タクマ建設を事業承継。株式会社カクイックスウィングの子会社となりました。 |
令和5年8月 | 創立60周年を迎えました。 |
令和5年9月 | 鹿児島市西別府町3116-30に株式会社カクイックスクリーンケア本店を移転。 |
令和6年4月 | かごしま県民交流センターのサービス維持・向上を目的としたネーミングライツパートナーとして、鹿児島県と協定を締結しました。愛称は「カクイックス交流センター」となりました。 |
令和6年8月 | 障害福祉サービスを事業目的に「株式会社カクイックスクローバー」を設立。 |
令和6年10月 | 有限会社ワカマツを「株式会社カクイックスアイケア」に商号・社名変更。 |
令和6年12月 | 愛ケアサービスを株式会社カクイックスアイケアにて事業承継。 |
令和7年2月 | 株式会社カクイックスクローバー 就労継続支援B型事業所「就労支援センター カクイックスクローバー」を開所。 |
令和7年4月 | 山﨑株式会社の介護事業部を株式会社カクイックスウィングにて事業承継。 |